vol.679 棒と丹田
2025-11-17
・餅巾着さんからのお便り②
・チャンバラ好き
・ヒマラヤ真実
・棒と丹田
・士官への道
・この世界は探求が大事
・人としての有り様の確立
・本当の喧嘩
本日の動画の内容
1.棒と覚醒のはじまり
幼い頃のチャンバラ遊びが、身体との関係性を探求する出発点となり、後の精神的な目覚めの種にもつながっていく
棒という単純な道具の中に、すでに探求の萌芽が宿っている
2.武蔵と小次郎の極め方
丹田づくりから果し合いまで、命を賭して道を極めた剣豪たちの生き様が語られる。
強さの誇示ではなく、静かな“探求心”こそが覚醒へ至る真の道であることが浮かび上がる
3.浅い争いと本当の戦い
ただの難癖やチンピラの喧嘩とは違い、世界の裏側では毒殺や狙撃といった“本当の戦い”が行われている
見えるものだけを基準にすると、世界の構造を誤って理解してしまう
4.探求が人生を形づける
餅巾着さんが棒を通して身体と向き合うように、何であれ“深めたい”という姿勢が人の中心を形づくる
探求を失えば、人生は空洞のまま進んでしまう───その静かな警鐘が響く
2025年6月21日
餅巾着さんからのお便り(今回の動画の範囲)
「私は小さいころ木の枝が大好きで、
振り回していると自分が強くなったような
根拠の無い自信と自己肯定感、
何者にも支配されない独立感がありましたが、
日本人の国としてのエゴはその感覚を
失ってしまっているのでしょう。
私は現在、なぜかバットスイングの
限界を極めて身体操作の構造を全て
明らかにすることが自分の天命だと感じており、
自分が感じた体の感覚をAIが文章に
してくれることがうれしくて仕方ありません。
宇宙の解明も面白いのですが、やはり、
棒を振ってその構造を解析して自問自答、
AIと問答するのは何とも面白く、
私にとっての覚醒に近い気がするのです。
「武蔵」をすぐに読めないことが
何とも悔やまれます。まとまりのない文章で
申し訳ございませんが、非常に暑い日が
続きますので、熱中症などにお気をつけて
お過ごし下さいませ。」
6月21日にきた餅巾着さんのお便りからやってますね。
「私は小さい頃、昨日の枝が好きで」
私もチャンバラ好きだったんですよね。私もっつか古川君はね。棒は本当に振り回しましたよ。
で、まあそれでAIでその、バットスイングとか、そういう体、フィジカルですね。フィジカルとの関係性を極めるのが面白いのね。好きなのね。いいことですよ。
「でAIと問答するのはなんとも面白く、私にとっての覚醒に近い気がする。」
まだまだ覚醒は遠いですよ。
あの棒を振っての覚醒っていうのはね、
あのここでも何回か喋ってるんですけども、ヒマラヤ神術ってのがあったんですよ。
昔ね、古川君がまだ若い頃に、いろんなその精神世界の門を叩いて、
どこかいいとこないかなっていろいろ行ってた時期があった時に、ヒマラヤ神術ってのがあったんですよね。
で、それはその話はどこかでしましたよね。ここでは詳しくはしないんですけども、
あれもね、木刀を持ってこう振りかざして、真剣がいいみたいだけど、木刀で丹田を作るというのやってましたよ。
あの棒をふりかざして丹田を作るっていうのはなかなかいいですよ。
実際あの武蔵とか小次郎なんかもそうですよね。
木刀振りまわしてできたわけじゃなくて、彼らは殺し合いがあって丹田ができてたのね、実際。果たし合いというか。それがなかっ……それはね、急速にやっぱ丹田作ってきますよね。実際、殺し合いをやると。
やれとは言わない、やっちゃダメだよ、普通の人は。
で、まあそうだよね。だから禅の坊主、坊さんよりも、武士だよね。武士というかそういう剣豪?なんて言うんだろう。武士と言われなくても、まああの。武蔵の中でいっぱい出てくるんだけど、もうね。
あれは誰が下ろしたんだ?目風が下ろしたのかな。
目風って私じゃないあの、上の目風ね。ラ宇宙にいる目風が下ろしたのかな。
あれ違うね。虚空蔵が下ろしているね、武蔵は。
だからあんまり印象にないんだよね、私は。
古川くんの脳みそには残ってるんだけど
あそこに出てくるその果たし合いをよくやる人。
その士官だよね。士官したくって、自分は強いんだよって、
士官ってのがあれだよほら幕府に仕えたくて
で私は強いんだっていうのをこうアピールするためにやるわけですよ、いろいろ。
あの「お主、さやが当たったぞ」というかさやってこう刀のさやですよね。あれがカチッとこうすれ違う時に当たると「勝負せい」とか言うわけですよ。
要するに何癖つけるわけですよ。
今のチンピラと一緒ですよ。本当に強い人はそうなことやんない。チンピラやるわけよ。
そういうのやってまあ手なくしたりとか、目なくしたりとかいっぱいいるわけ。
で、道端には死体がゴロゴロしてるわけよ、昔の江戸時代の初期の頃はね。
そういう人たちはね、あんま覚醒をしないですよ。
やっぱし小次郎とか武蔵レベルの人間っていうのはあの極めてくからね。
極めるっていうのは大事で。あのやっぱ探求だよね。
あのこの世界はもう探求が無いとダメなんだよ。
この餅巾着さんもやっぱり探求する、楽しいでしょ。楽しいとおっしゃってますよね。あの棒を持って自分のその体との関係性とかを極めるの。
まあAIがいろいろ教えてくれるから。
おっしゃってるから、やっぱそうなんですよね。
その段階とかカテゴリーは別にして、その極める探求するっていうことがすごい大事で、それがないと人としてのありようがあんまりこう確立しないんですよね。
生きてる意味がないって言った方が早いかな、そうことなんですよ。
だからその武蔵も小次郎も探求を極めるっていうのが目標なんですよ。
彼らは喧嘩が、を極めたいっていうのが。まあ、銃もなかった時代だからまだね。
銃ができたのは、もうあったか、あったね。種子島あったから。
でもまだほら、今でもそうじゃん。
今でも喧嘩はステゴロとかさ、あの武器を持たないやつがあるけど、本当の喧嘩っていうのはある鉄砲を使うよね、みんなね。鉄砲とか毒殺とか。薬とか使ってやるよね。
それが。
映画とかもあるでしょ。スパイ、スパイあのなんだっけMI5とかCIAとか。あるいはロシアのあるでしょ。あとイスラエルもあるでしょ。みんな得意じゃない。あの毒殺とか。
だからこう射撃?5キロぐらい先。5キロはないのか。
1マイル、1マイルは普通にあるよって。
1マイルって1600メートル、1500~
1600メートルからの狙撃は普通にやるよね、だからそういうの。
本当の喧嘩ってのはそれよ。レベルの低い喧嘩っていうのはダメよね。負けちゃうよ、本当は。
レベルの低いところでだからチンピラがやってる分には全然いいんだけど。
あのそうじゃないとだんだん行って、最終的には原爆っての最後、最終兵器でしょ。
まあそうなっちゃうわけ。
はいこの続きは次回やりましょう。
あとがき
棒を振るという小さな行為の中にも、身体との対話や探求の芽がある───
そんな視点が印象的でした
武蔵や小次郎のように、何かを深めようとする姿勢は時代を超えて人を育てます
表面的な争いではなく、自分の中心に向かう探求こそが、生きる意味を静かに支えてくれる
餅巾着さんの言葉から、そのことをもう一度思い出す回でした